足立区 浄土宗 法受寺|お墓のご相談はアイエムに

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浄土宗 法受寺

法受寺客殿

法受寺客殿

徳川五代将軍・綱吉公御生母・桂昌院の実家であり
本庄家累代墓の名刹


【ゆかり】

・開創 正暦三年(西暦992年)

・後深草天皇(西暦1304年寂)

 御尊碑・御尊像奉安(文化財)

・桂昌院殿(徳川五代将軍綱吉公御生母)

 御霊廟(文化財)

・本庄家累代の墓 笠間城主・本庄宗資

 丹後宮津藩主・累代

・怪談「牡丹燈籠」ゆかりの寺・・・等

客殿
客殿

■二つの寺院が合併して移転
浄土宗の普賢山幡随院法受寺は、関東大震災で被害にあった谷中三崎町の法住寺と浅草の安養寺が合併し、新たに法受寺として昭和十年に足立の現在地に移転したものです。先代住職の難波昭音師が昭和十六年に法受寺に定住し、寺院整備に尽力しました。しかしながら、当時は檀家も少なく、戦中・戦後にかけての寺院運営は容易ではありませんでした。昭和四十五年に難波大昭師が二十八世を継ぎ、この間までに墓苑を整備し、昨年十一月二十四日には建坪七十坪の客殿を完成させるなど、寺運興隆に努めてきました。


■谷中・法住寺と浅草・安養寺の縁起
墓合併した二つの寺院はいずれも歴史と由緒を誇るものであります。谷中三崎町の法住寺は正暦三年(992年)、武蔵国豊島群下尾久(現在の荒川区尾久)の地に、開山・恵心僧群によって創建されました。嘉元二年(1304年)、後深草院素実法皇御菩提のため、皇子・久明親王が御父皇の御尊像並びに御位牌を納められ、境内地七百五十八坪を御寄付せられたと、寺記にあります。安養寺についてですが、ここは徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院の菩提寺です。桂昌院は、京都二条家の家臣、本荘太郎兵衛宗利の養女であり、十八歳の時に大奥に召され、三代将軍家光に愛され、徳松君(綱吉)の生母となりました。家光の死後、出家して桂昌院と称し、大奥で絶大な勢力をふるったのは有名な話です。

桂昌院の墓
桂昌院の墓

ゆかりの人物と物語の題材として

○沢村墨庵と関口弥太郎
桂昌院とゆかりの深い丹後宮津藩との関係で特筆すべき人物に書家の沢村墨庵がいます。墨庵は宮津藩の祐筆を務めたほどの第一級の書家です。法受寺にある墨庵の墓の右隣に並んで建っているのが、江戸時代の柔術家として一世を風靡した関口弥太郎の墓です。弥太郎は関口流柔術の開祖・関口八郎右衛門の第三子で、講談や歴史小説でも有名ですが、墓銘には「享保六辛丑年十二月十八日性行院厭誉永法信士」と刻まれています。

墨庵(左)と関口弥太郎の墓
墨庵(左)と関口弥太郎の墓

○『牡丹燈籠』の碑を建立
法受寺を語る上で、忘れてはならないのが濡れ仏縁起の『牡丹燈籠』です。明治の落語家・三遊亭円朝が新幡随院法住寺に建立された濡れ仏の縁起として綴ったのが『怪談・牡丹燈籠』です。お露、お米の幽霊が新墓から現れる寺が法住寺であり、萩原新三郎とお露の菩提を弔うために建てられたのが、濡れ仏です。現住職の難波大昭師は、いずれ『牡丹燈籠』の記念碑を設置しようと情熱を注ぎ、平成七年五月に念願の記念碑を境内に建立しました。

「牡丹燈籠」の記念碑
「牡丹燈籠」の記念碑

法受寺 山門

法受寺 「牡丹燈籠」の記念碑

交通アクセス

住所
東京都足立区東伊興4-14-8
交通
■東武伊勢崎線「竹ノ塚駅」下車 徒歩15分
■車:尾竹橋通り「伊興白幡」交差点より 約1分

■もしもの時の諸手続きと先祖供養

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