お墓のアイエムTOP > 仏教の百科事典TOP > 宗派 > 真言宗 > 古義真言宗と新義真言宗

古義真言宗と新義真言宗

真言宗は、9世紀初頭に唐の恵果に学んだ弘法大師空海によって開かれました。中国で当時最新の仏教であった密教を得た空海は、嵯峨天皇の帰依を受け、京都に東寺、高野山に金剛峯寺を建立してその根本道場と定めます。

 

真言宗は、空海の後もその思想を継ぐ多くの高僧を輩出しました。平安末期の興教大師覚鑁(かくばん)、鎌倉時代の頼瑜(らいゆ)などがその代表です。この覚鑁、頼瑜の流れを継ぐ者達は、やがて高野山から分かれて根来寺(和歌山県岩出市)に住するようになりました。この流れを組むのが、新義真言宗(真言宗智山派・真言宗豊山派など)、それ対するのが古義真言宗(高野山真言宗・東寺真言宗など)と呼ばれています。

 

真言宗はそもそも、空海が開いた東寺、高野山のほかにも、神護寺・仁和寺・醍醐寺・海印寺など複数の寺に高弟たちが住し管理しており、分裂する恐れを有していました。やがて平安時代中期の僧・観賢(かんげん)が東寺長者と金剛峯寺の座主を兼ねて東寺を中心とした本末体制を敷いて統合を図りますが、次第に分派は進み、鎌倉時代には東密三十六流と称されるようになります。

 

この後、12世紀に覚鑁が高野山を立て直そうと奮起するも失敗して追われ、根来寺を建立します。また、13世紀末には頼瑜が根来寺において加持身説を唱え新義真言宗の根本とすると、それまでの真言宗とは教学上の明確な一線を画すようになります。さらに智積院を本山とする智山派、長谷寺を本山とする豊山派、室生寺を本山とする室生寺派などが分派しましたが、いずれも根来寺の覚鑁・頼瑜の流れを受けたものとして新義真言宗と呼ばれています。

 

新義真言宗に属さない伝統的な教学にのっとった流れが古義真言宗で、高野山・東寺・醍醐・御室・大覚寺・山階など多くの分派があります。教学の上では、新義真言宗の加持身説(真言密教の中心仏である大日如来が説法のために加持身となって教えを説くとする説)に対し、古義真言宗は本地身説(大日如来みずからが説法をするという説)をとっています。

⇑ ページトップへ