納骨の定義と歴史|お墓・墓地辞典

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お墓・墓地辞典


 1.お墓には、それぞれご家族のドラマがあります。
 「おめでた
 「ガンコ主人
 「三姉妹
 「親子の絆
 「母の思い
 「50年振りの再会

2.お墓・墓地辞典
 墓の語源と歴史
 霊魂の依代としての墓石
 墓地・霊園の種類
 墓地の所有権と使用権
 納骨の定義と歴史
 卒塔婆の語源と五輪塔
 永代供養墓
 戒名の定義と歴史
 合掌
 数珠
 お香

納骨の定義と歴史

 納骨とは、遺骨を納骨器(骨壷や蔵骨器)に入れて、寺院や霊園、霊場のお墓や納骨堂におさめることを指します。これは主に火葬の習俗と関連した行事ですが、その起源を遡ると、平安時代末期以降広まったものといえます。ただし、たとえば弥生時代にも類似の葬送習俗は見られましたし、または沖縄の洗骨習俗も広義の意味においては納骨と見なせなくもないです。


 納骨について著名な寺院・霊場としては、とりわけ高野山が挙げられます。また、奈良市の元興寺(がんごうじ)には中世時代の物と思われる大量の納骨器が発掘されています。その他にも、福島県会津若松市近郊の八葉寺、山形市の山寺(立石寺)などがあり、納骨習俗の全国的な展開を示しているといえましょう。


 納骨の歴史を辿ってみますと、天皇家については、一条天皇(980~1011)の遺体を荼毘に付し、遺骨を寺院におさめたことが起源のようです。民衆層においては、当初は遺骨のみならず、遺髪も霊場や霊山におさめていたようです。初期は高野山に集中する習俗でしたが、高野聖(こうやひじり)が全国を行脚することにより広く知られるようになり、全国に霊場寺院が作られ、納骨の習俗は中世に全国的な展開を見ることになるのです。


 現代、納骨は四十九日の忌明け頃に行うのが一般的ですが、納骨堂は主に都市に集中しているといいます。これは土地不足、土地価格の高騰とも関係しています。つまり、お墓の新規購入や維持費が家計を圧迫するようになり、お墓を持つことが難しくなった結果として、主に寺院が納骨堂を設置することにより、遺骨の一時預かりが増えてきているといわれています。

卒塔婆の語源と五輪塔

卒塔婆

 供養のためにお墓に立てる細長い板のことを卒塔婆(板塔婆)といいますが、もともと卒塔婆(そとば)とは、サンスクリット語のストゥーパに由来しています。お釈迦さまの遺骨(仏舎利)を納めた建物のことをストゥーパといいました。


 お釈迦さまが入滅したとき、遺骨が八つに分けられ塔を建てたのがその始まりです。ストゥーパは仏教が中国を経由して日本に伝わってくる間に、色々な形に変化しました。日本でよく見かける五輪塔や、五重塔の屋根の上にある相輪はストゥーパをかたどったものです。


 ストゥーパはもともとお椀を伏せたような形をしていましたが、中国に伝わったとき、五大の思想によって今のようなかたちをした五輪塔となりました。五大・五輪とは、仏教の世界観における五つの世界の構成要素である地・水・火・風・空のことです。


 日本でよく見かける五輪塔の形の意味はこうなります。一番下の四角は地、その上の円は水、三角形は火、半月は風、一番上の宝珠が空です。石の塔だけでなく、板の卒塔婆もよく見るとこのような形をしていることがわかります。板の卒塔婆には、故人の戒名などとともに梵字(サンスクリット)が書かれるのが普通です。地・水・火・風・空を表す「ア」「バ」「ラ」「キャ」「カ」という文字と、裏に大日如来を表す「バン」という文字が書かれます。


 卒塔婆は死者の追善供養のため建てるものですが、浄土真宗のように卒塔婆を建てない宗派もあります。


五輪塔

 現在、五輪塔はお墓のタイプとして知られています。台となる石の上に、方形(四角形)、円形、三角形、半月形、団形の5つの石塔を下から積み上げたものであります。


 それならば、なぜあのような形をしているのでしょうか?実は仏教で考える万物の構成要素である「地・水・火・風・空」の5つの要素(「五大」といいます)を、それぞれ方・円・三角・半月・団の形で象徴しているのです。そして密教系ならば5つの石に、上からキャ・カ・ラ・バ・アを表す梵字を刻み、一番下のアの文字の下に戒名などを記すことになります。ただ、宗派によっては解釈が異なるようで、例えば浄土系ならば、上から南・無・阿弥・陀・仏と刻みますし、日蓮系ならば妙・法・蓮・華・経と刻み、禅系ならば空・風・火・水・地と漢字で刻みます。


 五大の思想は元来インドにあった思想で、五輪塔の成立には、仏教の中でもインド思想の強い影響下にある密教色が強いようです。もともとインド仏教においては、塔はお釈迦様のご遺骨を分けた際に、ご遺骨を納めるモニュメントとして発生しました。その後の密教では、塔と五大思想が結びついて、塔=五大=大日如来(万物の構成要素そのものである如来)と考えられるようになりました。簡単に言えば、「五輪塔=仏そのもの」という解釈が成立したのです。


 日本において五輪塔の造立がはじまったのは平安時代後半頃と考えられていますが、岩手県平泉町・中尊寺願成就院の有頸五輪塔(宝塔と五輪塔の中間タイプ)や同町・中尊寺釈尊院の五輪塔(「仁安四年(1169)」の紀年銘)などが最古例であるとされます。そして五輪塔が一般的に造立されるようになったのは鎌倉時代以降なようですが、最初に書いたとおり、現在でも多くの墓地や寺院で一般的に五輪塔は見ることができます。