浄土真宗
浄土真宗には、1)浄土真宗本願寺派と2)真宗大谷派のほかに、
3)真宗高田派、4)真宗興正派、5)真宗仏光寺派、6)真宗三門徒派、
7)真宗出雲路派、8)真宗山元派、9)真宗誠照寺派、10)真宗木辺派があり、
総称して真宗十派と呼ばれる。
浄土真宗は阿弥陀如来を本尊とし、所依の経典は浄土三部経、なかでも『無量寿経』を重視します。
曹洞宗
道元は越前(福井県)に永平寺を開き、瑩山は能登(石川県)に總持寺を開きますが、
總持寺は明治時代に横浜の鶴見に移転されます。曹洞宗では、永平寺と總持寺を両大本山といっています。
曹洞宗の本尊は釈迦如来であり、南無釈迦牟尼仏と唱えています。
釈迦如来(釈迦牟尼仏)を本尊、両祖である道元と瑩山を脇侍として祀り、
一仏両祖、あるいは三尊仏として仰いでいます。
浄土宗
浄土宗は、法然の弟子弁長の流れを汲む鎮西派を指し、
その他に西山派(西山浄土宗・浄土宗西山禅林寺派・浄土宗西山深草派)があります。
浄土宗は『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の浄土三部経をよりどころとし、
本尊は阿弥陀如来。浄土宗寺院では、阿弥陀如来の右側に勢至菩薩、左側に観音菩薩をまつることが多い。
真言宗
宗祖である空海が有名ですが、彼の後もその思想を継ぐ多くの高僧が輩出しました。
平安末期の覚鑁、鎌倉時代の頼瑜の流れを継ぐ者達は、
やがて高野山から分かれました。
この流れを継ぐのを新義真言宗(真言宗智山派・真言宗豊山派など)と言い、
それ以外を古義真言宗(高野山真言宗・東寺真言宗など)といいます。真言宗では「大日如来」を本尊として考えます。
日蓮宗
日蓮には六人の高弟(六老僧)や各地に熱心な弟子がおり、日蓮没後は、各弟子の門流や各地での信者組織が発展、
多くの流派が生まれることになります。一致派と勝劣派の教義的対立、
不受不施の問題なども、諸流派分立の大きな一因になりました。
明治になると、一致派の各門流が統合され身延山久遠寺が総本山となって、「日蓮宗」となりました。
日蓮宗の教えは、『法華経』こそが、お釈迦様の本当の教えであり、衆生救済の唯一の方法とします。
臨済宗
臨済宗の各派は大本山の名前を派名にしており、
建仁寺派、建長寺派、東福寺派、円覚寺派、南禅寺派、大徳寺派、妙心寺派、天竜寺派、永源寺派、向嶽寺派、相国寺派、
方広寺派、仏通寺派、国泰寺派の14派。禅宗では不立文字の立場から所依の経典は定めていませんが、
『般若心経』、『観音経』、『金剛般若経』などが読まれます。
また、『臨済録』、『碧巌録』、『伝心法要』など祖師の著作を重要視します。
天台宗
天台宗は中国で成立し、最澄によって日本に伝えられました。
日本の天台宗では智顗を高祖、最澄を宗祖としています。
天台宗では『妙法蓮華経(法華経)』を根本経典とし、その教えを実践することを説きます。
最澄のひらいた比叡山延暦寺は以後日本仏教の中心地として興隆し、
鎌倉時代には、法然・栄西・親鸞・道元・日蓮など、各宗派の祖師方を輩出しました。
時宗
一遍の死後、弟子として付き従っていた真教(1238~1319)が、各地の弟子達を取りまとめ、
一つの教団としての組織を作っていきます。したがって、教団としての時宗の始まりは真教とも言えるでしょう。
時宗では浄土宗、浄土真宗と同じく、『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の浄土三部経が所依の経典。
とくに『阿弥陀経』を重視します。
法華宗
日蓮の亡き後、「本門」と「迹門」の価値は結局一致すると考える「一致派」と、
「本門」のほうがよりすぐれているとする「勝劣派」が生まれました。 明治になると、
一致派の各門流が統合され身延山久遠寺が総本山となり、池上本門寺、京都本圀寺、京都妙顕寺、
中山法華経寺が大本山となって、「日蓮宗」となり、 また「勝劣派」も、それぞれ派名を改称し、
「顕本法華宗」、「本門法華宗」、「法華宗」、「本妙法華宗」、「日蓮法華宗」、
などさまざまな宗派がこの時生まれました。
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